バリ島の東側で海岸に立ち、東を見てみよう。海峡の向こう側、水平線上にロンボク島が見えるはずだ。
ロンボク海峡として知られる、この幅約34kmの狭い海が、バリ島とロンボク島を隔てている。モーターボートだと1時間ほどで航行できることを考えると、動物たちは(少なくとも鳥類であれば)、この海峡を渡れそうに見える。
それにもかかわらず、何かが動物たちを押し留めている。それは嵐でも、捕食者でもない。目に見えない境界線が移動を阻んでいるのだ。
1858年、英国の博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスが、マレー諸島の人里離れた小屋で、チャールズ・ダーウィンに手紙を書いた(高熱に苦しんでいるさなかのことだった)。
ウォレスはそれまでに数年を費やし、この地域のさまざまな種を仔細に記録していた。この時、マラリアによるとみられる高熱で精神が錯乱し、意識の朦朧とした状態が、彼にあるひらめきをもたらした。それは、自然界は種が境目なく混ざり合う場所ではなく、むしろ目に見えない障壁によって分割されたパッチワーク状になっている、という気づきだ。
こうした障壁の中でも最も驚くべき存在が、ロンボク海峡を通る境界線だ。これは、提唱者にちなんでウォレス線と呼ばれている。
ウォレス線を超えて移動する動物はほとんどいない
ウォレスが1850年代にマレー諸島を探査する前には、種は静的なもので、環境的な条件に基づいて分布しているという考え方が一般的だった。当時は、地球の歴史的な過程には、ほとんど目が向けられていなかったのだ。
だが、種の分布に関するウォレスの緻密な記録が、この仮説を打ち砕いた。ウォレスの観察により、バリ島とロンボク島は距離が近く、環境も似通っているにもかかわらず、その動物相は大きく異なっていることが判明した。
ウォレス線の西側にあるボルネオ、スマトラ、ジャワといった島々で遭遇するのは、アジアに深いルーツを持つ、トラやサイ、ゾウ、霊長類などの動物だ。
一方、この線をまたいで東方に向かい、(バリ島を除く)小スンダ列島やスラウェシ島、ニューギニアに行くと、動物相はオーストラリア系に様変わりする。
森の木々を行き来する樹上性のポッサムなどの有袋類、コカトゥーと呼ばれる大型のオウム、ハリモグラなどの「卵を産む哺乳類」が現れるはずだ。
これほど明確な境界が生じた原因は?
この疑問に対する答えは、海面の下に横たわっている。この想像上の線の両側を何の問題もなく自由に行き来できる、数少ない動物の一つが魚類であることを考えると、ちょっと皮肉な話だ。
直近の氷河時代のさなかには、海水面が今よりも下がっており、東南アジアの島々の多くは、陸橋によりアジア大陸とつながっていた。これにより、さまざまな動物の種は、自由にどこにでも移り住めていた。
だが、ロンボク海峡の深い海は、決して干上がることはなかった。ここは難攻不落の障壁となって、種の横断を阻んだ。こうして、はっきりと区切られた2つの進化系が生まれ、それぞれ独自の発展を遂げることになった。
ウォレスの発見は、当時のトップクラスの学者たちが、進化に関する考えを改めるきっかけになった。さらにはダーウィンにとっても、自分の著作を予定より早く出す後押しになったとされる。