映画館で泣ける映画を観る。書店で感動的な小説を探す。SNSで「泣ける話まとめ」を保存し、あとで読む。いったい、なぜわたしたちは「泣ける体験」に価値を感じ、進んでそれを求めるのでしょうか?
アート、広告、映画など「人の心を揺さぶる体験」を、心理学と神経科学を用いて分析してきた石津智大さんの著書『泣ける消費 人はモノではなく「感情」を買っている』(サンマーク出版)から、一部引用・再編集してご紹介します。
「泣いたらすっきり」するわけ
「泣いて、すっきりする」
この不思議な現象には、実は古くから名前がついています。
それが「カタルシス(浄化)」という概念です。
ギリシア哲学の巨人アリストテレスは、『詩学』の中で、悲劇を観る観客が恐れや憐憫といったネガティブな感情を抱きつつも、同時にそこに一種の「快」を見いだす現象を、「カタルシス」と呼びました。
現実の苦しみとはちがって、物語の中で感じる悲しみは、どこか心をやさしく揺さぶってくれるようなところがあります。物語に感動して泣いたあとは、抱えていた重苦しい気持ちがふっとほどけて、少し楽になっている。
そんな不思議な作用があるからこそ、この現象は古代から現代に至るまで、多くの哲学者や批評家にとって興味の対象であり続けてきました。
わたしたちが物語に涙するのは、まさにこのカタルシス──感情の浄化を体験しているからと言えるでしょう。
近年の脳科学の観点からも、同じ構造が明らかになりつつあります。
わたしたちは物語を観ながらただ悲しんでいるだけではなく、「登場人物たちと一緒にその悲しみを乗り越えている」らしいことがわかっています。
たとえば「泣ける作品」を観ているとき、まず、脳の中の扁桃体という部位が「悲しい」という情動をとらえます。扁桃体は、「不安」や「恐怖」といった感情の起点になる場所で、感情を素早く察知し、反応を引き起こす役割を持っています。