日本M&Aセンター創業者が後世に伝える「真の花」

社寺建築に精通した専門会社に依頼し、銘木として名高い吉野檜を用いてつくられた能楽堂。舞台奥に掲げられた鏡板には、絵師が3カ月をかけ、松の葉の一本一本に至るまで丹念に仕上げた松が描写されている。

社寺建築に精通した専門会社に依頼し、銘木として名高い吉野檜を用いてつくられた能楽堂。舞台奥に掲げられた鏡板には、絵師が3カ月をかけ、松の葉の一本一本に至るまで丹念に仕上げた松が描写されている。

「妻が能を大好きでね」と照れながら足袋に履き替え、舞台に立つ。能楽師の家に生まれ、経営者として成功した分林保弘は、今も昔も、「思いついたこと」を実現し続けている。


春の陽がまぶしく降り注ぐある日。東京の一等地にある邸宅を訪ねると、風光明媚な庭園に迎えられた。

見惚れていると、「尾形光琳の名作『紅白梅図屏風』を再現してます。中央に水流が流れ、左右に紅白の梅。ここでは梅の紅白が左右逆ですが」と家主。その脇の扉を開けると、総檜づくりの能楽堂が姿を見せた。

日本M&Aセンターホールディングス名誉会長の分林保弘。観世流シテ方の能楽師の家に生まれた異色の経営者は、80歳を前に、自邸に能楽堂をつくった。「道楽ですよ」と微笑んで踏むその雅な舞台では、能の公演のほか、音楽会、ミニオペラ、若手起業家向けの講演も行われているという。

尾形光琳の「紅白梅図屏風」を再現した庭園。
尾形光琳の「紅白梅図屏風」を再現した庭園。

33期連続黒字、その礎にある行動力

分林は大学卒業後、1966年にイタリア事務機器大手のオリベッティに就職。会計事務所向けのシステム販売で実績を上げた。85年に独立し、付き合いのあった会計事務所と日本事業承継コンサルタント協会を設立。全国で勉強会をひらくなかで後継者不足という社会課題を肌で感じ、91年、公認会計士や税理士ら100人超から1.5億円の出資を募って日本M&Aセンターを立ち上げた。

当時、M&Aという言葉はまだ日本に浸透していなかったが、「設立後、全国地図にネットワークを描いた新聞広告を打ったところ、翌週には400件を超える問い合わせが殺到した」。時代のニーズを先読みし、2期目から8000万円の経常利益を計上、配当を実施。2006年にはマザーズ上場、翌年には東証一部上場を果たした。

「350億円で上場し、一時は時価総額が1兆円を上回ったこともあった」という同社は、学生が選ぶ業界別人気企業ランキングでも常に上位に入る。毎月10人から20人が中途入社し、今年春には65人の新卒を迎えた。

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文=国府田 淳 写真=若原瑞昌

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