経済・社会

2024.03.03 13:30

純粋経験、ストリートメディカル、政策VC……8つのキーワードから読み解く次の時代

Forbes JAPAN編集部
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ハピネスドリブンで本格化する「ストリートメディカル」─ 武部貴則


2023年11月22日、東京の日本科学未来館に「老い」をテーマにした新たな常設展示「老いパーク」がオープンした。

「病院の受付」「買い物」などのシチュエーションを模したゲームを通して、老化によって生じる目・耳・運動器・脳の変化を疑似的に体験することができる、新しい試みだ。狙いは、体験者に豊かな老いとの付き合い方を考えてもらうこと。横浜市立大学先端医科学研究センターのチームとWhatever Co.で共同設立したスタートアップ「Open Medical Lab」が制作に携わった。

このように、医療の手法や考え方を日常生活になじませていく取り組みを、ストリートメディカルと呼ぶ。この言葉が生まれた背景には、社会構造の変化がある。人間の平均寿命は、石器時代から長きにわたって30〜40歳代に留まっていたが、この100年ほどで50年以上も延びた。その結果、日々の生活のなかの小さな変化が将来の健康上の問題につながる、というケースが増え、医療の扱うべき対象が「病」から「人」にシフトした。

ストリートメディカルは、そうした流れのなかで、古典的な臨床医学の範囲を超えて「人」を扱うことによって広がった拡張領域での取り組みだ。内科的・外科的治療による介入だけでなく、日常生活におけるすべてのタッチポイントが実践対象になる。従来型の投薬や外科的アプローチに加えて、衣食住など環境へのアプローチ、さらにはセミナーやイベント、娯楽を通じたアプローチも必要になる。さまざまなプレイヤーが医療に携わる時代が来ているのだ。

これは、世界的にも新しい考え方である。例えば米国では、医学分野の必須科目に「行動科学」という学問があるが、これは「健康のために人の行動をいかに促すか」という考え方。実際のところ、「健康のために行動できる人」はそれほど多くはないので、大きなムーブメントにならないという課題があった。そこでストリートメディカルでは、クリエイティブと融合したアプローチによって、人々が楽しみながら健康へのモチベーションを高めることを狙う。

ストリートメディカルの実践事例のひとつが、認知症や軽度認知障害の早期発見のために東京藝術大学と共同開発したアプリゲーム「Nバックカレー 最後の隠し味」。プレイヤーはカレー屋の料理人になり、お客さんが次から次へと注文する隠し味(魚、チョコレート、ホウレンソウなど)を短期記憶して、注文通りにお客さんにカレーを提供する。回数を重ねるごとに注文数が増えていく仕組みで、「N-バックタスク」という医学の領域でも使われる手法を取り入れている。

現在、認知症などの診断に使われている「認知機能評価バッテリー」は、いくつものアンケートに答える“試験”のような形式。面倒くさいうえに、明らかに認知症を疑われていることがわかるので、評価される側は気分が悪い。そこでこのゲームでは、医療の手法を誰もが親しみやすい「カレー屋」というコンテキストに変えて提供した。

実際に大阪市西淀川区の千船病院と連携して一般市民向けに体験会を行った際には、大半の人がゲームに熱中し、最後までプレイしていた。認知症評価バッテリーに比べて時間も短く、声がけなど試験者の負担も低減できるため、実装に向けて既存の評価バッテリーとゲーム成績との相関を調査している。

自治体との連携で、ストリートメディカルを街づくりに活用する事例もある。横浜市立大学を中心とした産学連携チーム「Enabling City プロジェクトまちづくり分科会」による企画「Enabling City Walk!(イネーブリング・シティ・ウォーク)」だ。イネーブリング・シティとは、健康で幸福でいられるように、居住者の成長や自己実現を促す都市のこと。これまでに、横浜市や大阪市などで実証実験を行っている。

この企画は、参加者それぞれが街を歩きながら「ハッピー・アンハッピー」「ヘルシー・アンヘルシー」と思われるポイントを見つけ、専用のスマホアプリに写真を投稿していくもの。数千の投稿を分析するなかでユニークだったのが、「ヘルシーだけれどもアンハッピー」という投稿があったこと。

例えば「殺風景な長い階段は、上れば運動になるのでヘルシーだが、負荷がかかるのでハッピーだとは思えない」という意見があった。そんな場所には、ストリートメディカル的介入ができる。階段アートを設置する、上りながらニュースを見られる設計にする、などのアプローチだ。

また、高齢者や子どもなど人によって「ハッピー」「ヘルシー」の基準がさまざまであることがわかった。こうしたデータを集めることで、自治体はすべての住民の声を取り残さない街づくりを進めることができるだろう。

近年、企業経営においても注目が高まっている「ウェルビーイング」でも、ヘルスケアだけでなく「ハピネス」という概念を入れて、ハピネスドリブンに転換していく必要があるとされている。それはまさに先の事例にも共通する、「体にいいから」ではなく「やりたいから」動く、というストリートメディカルの考え方だ。

企業や自治体にハピネスドリブンが根付き、それを基に経済圏をつくる──。そうした街づくりのための仕掛けを、つくっていきたい。


武部貴則◎医師。Open Medical Lab CEO、Stellar Science Foundation President。シンシナティ小児病院、大阪大学、東京医科歯科大学、横浜市立大学、湘南ヘルスイノベーションパーク、日本科学未来館で研究室を主宰。

(文=田中友梨)
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イラストレーション=ローリエ・ローリット

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年2月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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